アニメ『天幕のジャードゥーガル』最終話・第12話「いつもと変わらない草原」の動画補足記事です。
この記事では、動画で語られたシタラの「怒り」と「復讐」に触れつつ、動画内では時間の都合で語り尽くせなかった13世紀イスラーム世界を代表する哲学者・数学者・天文学者、ナスィールッディーン・トゥースィーの生涯と思想について、詳しく掘り下げていきます。
怒ることそのものが問題なのではない。
その怒りを理性が導いているのか、それとも怒りが自分を導いているのか。
激動の13世紀を生きたトゥースィーの哲学から考えていきましょう。
ぜひこの記事と動画を合わせてご覧ください。
【動画補足】天幕のジャードゥーガル 最終話 トゥースィーが語る「怒りの正体」
なぜシタラは、オゴタイの言葉を受け入れることができなかったのでしょうか?
今回公開した動画では、アニメのムハンマドのモデルとされるナスィールッディーン・トゥースィーの倫理思想を通して、シタラを突き動かす「怒り」と「復讐」、そして人間の心を支配する感情について考えました。
1. 海外が絶賛した『天幕のジャードゥーガル』最終話
『天幕のジャードゥーガル』最終話では、シタラとオゴタイが激しく言葉を交わします。
シタラはオゴタイに一切遠慮せず、自分の知識と信念をぶつけました。
そして星と大地についての議論は、いつしかモンゴル帝国とシタラたちの過去、そして復讐の話へと変わっていきます。
美しく、同時に様々な解釈を残す最終話に、海外の視聴者からも多くの反応が寄せられていました。
海外ファンは最終話をどう見たのでしょうか?

結局、本当にすべては「見方」の問題なんだ。
この物語には本当の意味での「善人」はいない。
誰がどうしてそうなったのかは理解できるけれど、それと同時に、完全に正しい人間も一人もいないんだ。

ファーティマとドレゲネには、どちらにも過去を乗り越えて前へ進む機会が与えられた。
それでも二人は幸福ではなく復讐を選んだ。
それほどまでに復讐への欲望に飲み込まれてしまっていたんだ。

未来のファーティマが、彼女にとってあれほど大切だった本を読み返す姿で終わらせたのが本当に映画的だった。

美しい作品だった。
最終話では「誰が正しいのか」だけでは割り切れない、それぞれの立場や感情について深く考察する声が多く見られました。
2. トゥースィー先生の哲学講座:怒りに支配されるとは何か
動画の中では、ピヨ太郎ともちもちの元に、特別講師としてナスィールッディーン・トゥースィー先生が登場します。
アニメ『天幕のジャードゥーガル』に登場するムハンマドは、トゥースィーの若き日の姿として描かれています。
※哲学者のセリフは、史実や著書の内容を参考にしつつ、アニメの考察に合わせて独自に構成したフィクションが含まれます。
学術的な正確性を保証するものではありませんので、一つの考え方としてお楽しみください。

私は天文学や数学だけでなく、哲学や倫理学についても研究していたんだ。
星がどう動くのかを考えるのと同じように、人間の心がどう働き、どう生きるのが善いのかも考えていたんだよ。

みんな復讐は良くないって言うけど、そんなにいけないこと?
復讐を肯定してる哲学者っていないの?

不正への怒りや、罪に相応しい報いを認める思想家なら大勢いるよ。
でも、個人的な恨みによる復讐そのものを、無条件に勧める代表的な哲学者はほとんど見当たらないね。
怒ることと、怒りに支配されることは違う
動画でトゥースィー先生が問いかけたのは、シタラがモンゴルを憎むこと自体の是非ではありません。
シタラには故郷を奪われ、大切な人を失った過去があります。
彼女が怒りや憎しみを抱く理由そのものを否定することはできません。
憎む理由があることと、憎しみに心を支配され続けることは同じなのだろうか?
ここが、今回の哲学幻談で大切なポイントです。
過去を忘れることと、怒りに支配されないことも同じではありません。
許すことと、自分自身が前へ進むことも同じではありません。
ではトゥースィーは、人間の感情をどのように考えていたのでしょうか?
『ナースィル倫理学』と四つの徳
トゥースィーの代表的な倫理学の著作が『ナースィル倫理学(Akhlaq-i Nasiri)』です。
この著作は、彼を代表する作品の一つとして知られています。
動画では、トゥースィーの倫理思想について、人間の徳を知恵・勇気・節制・正義という四つの観点から紹介しました。
知恵
理性的な力が適切に働くこと。
勇気
怒りなどに関わる力が理性の統御のもとで適切に働くこと。
節制
欲望に関わる力を適切に整えること。
正義
魂の諸能力が調和し、適切な状態に置かれること。
重要なのは、ただ強ければよいわけではないということです。
足りなくても、行き過ぎてもいけない。
両極端の間にある適切な状態を徳と考えます。

勇気が理性に従って適切に働いているうちは徳になって善いことだ。
でも、行き過ぎて理性の統御を離れれば、無謀や怒りへと傾いていくんだ。
シタラの勇気は、どこへ向かったのか
シタラは間違いなく勇気のある人物です。
奴隷という立場から身分を偽って侍女となり、ついには大カアンであるオゴタイにまで真正面から自分の考えをぶつけます。
しかし動画のトゥースィー先生は、最終話のシタラについて、その勇気が理性の統御を離れ、怒りへと向かっているように見えると語りました。

最後は一人で空に向かって叫んでたもんね。

問うべきなのは、怒りがあるかどうかではない。
その怒りを理性が導いているのか。
それとも怒りの方が、その人を導いているのかだ。
シタラの怒り、オゴタイとの対比、そして「心の天動説」という動画ならではの考察については、ぜひ動画本編でお楽しみください。
3. 哲学者ナスィールッディーン・トゥースィーの生涯
ここからは、動画の哲学幻談に登場したナスィールッディーン・トゥースィーが、実際にはどのような人生を歩んだ人物だったのかを詳しく見ていきます。
哲学、倫理学、数学、天文学、論理学など非常に幅広い分野に著作を残した、13世紀イスラーム世界を代表する学者です。
3-1. 1201年、トゥースに生まれる
ナスィールッディーン・トゥースィーは1201年、現在のイラン北東部に位置するトゥースで生まれました。
1274年にバグダードで亡くなっています。
幼少期や初期の教育について分かっていることは限られていますが、若い頃から学問を非常に重視し、各地の学者のもとを訪ねて学びました。
ニーシャープールなどで学び、その後も数学や天文学を含む幅広い知識を身につけていきます。
トゥースィーが残した著作は非常に多く、Internet Encyclopedia of Philosophyでは、およそ165タイトルに及ぶ著作があると紹介されています。
その分野は天文学、倫理学、歴史、法学、論理学、数学、医学、哲学、神学、詩など多岐にわたります。
3-2. イブン・スィーナー哲学の継承者
トゥースィーの哲学を語るうえで欠かせない人物が、イスラーム哲学を代表する哲学者イブン・スィーナーです。
トゥースィーはイブン・スィーナーの哲学を研究し、その思想を批判から擁護するための注釈も残しました。
Routledge Encyclopedia of Philosophyでは、トゥースィーはイブン・スィーナーの逍遥学派的伝統を復興した人物として紹介されています。
哲学だけではありません。
数学や天文学といった精密科学でも重要な仕事を残しており、哲学者という一つの肩書きだけでは収まりきらない人物でした。
ちなみにイブン・スィーナー(イブン・シーナー)登場回はこちらです。
天幕のジャードゥーガル1話2話【海外の反応】サイエンスSARUの映像美とイブン・シーナーが説く「魂の自由」
3-3. イスマーイール派のもとで過ごした時代
トゥースィーが生きた13世紀は、モンゴル軍がイスラーム世界へ進出していた激動の時代でした。
若きトゥースィーは、イスマーイール派の統治者ナースィルッディーン・ムフタシムの宮廷に入りました。
その後、1230年代にはニザール派イスマーイール派の重要拠点であるアラムートに移り、研究や著述を続けます。
この時代に完成させた代表作の一つが『ナースィル倫理学』です。
倫理だけではなく、家庭や社会、人間同士の協力についても論じた重要な著作です。
3-4. アラムート陥落とフレグ
1256年、モンゴル軍を率いたフレグによってアラムートは降伏します。
その後トゥースィーは、フレグのもとで活動するようになりました。
この時期のトゥースィーが、どこまで自ら望んで行動していたのかについては議論があります。
単純に本人の自由な選択だったと断定することはできません。
しかしモンゴル支配下でも、トゥースィーの学者としての活動は続きます。
そして彼の名を天文学史に刻む巨大な仕事へとつながっていきました。
3-5. マラーガ天文台
トゥースィーの科学者としての生涯を象徴するのが、現在のイラン北西部に築かれたマラーガ天文台です。
フレグの支援を受けて設立されたこの天文台で、トゥースィーは学術活動の中心的な役割を担いました。
各地から学者が集まり、天文学をはじめとする研究が行われる重要な学術拠点となりました。
ここで興味深いのが、『天幕のジャードゥーガル』とのつながりです。
フレグの母は、作品にも登場するソルコクタニです。
ただし、アニメのシタラと史実のトゥースィーが実際に知り合いだったという記録は確認できません。
作品の登場人物たちと後世の歴史が不思議につながって見えるところも、『天幕のジャードゥーガル』を歴史と一緒に楽しむ面白さですね。
3-6. トゥースィー・カップルと天文学
トゥースィーは、当時大きな影響力を持っていたプトレマイオスの天文学をそのまま受け入れたわけではありません。
宇宙モデルが抱える数学的な問題を検討し、修正しようとしました。
そこで有名なのが、英語で「Tusi couple(トゥースィー・カップル)」と呼ばれる数学的な仕組みです。
大きな円の内側を、それより小さな円が回転する。
二つの円運動を組み合わせることで、円運動から直線上を往復する運動を生み出すことができます。
ただし、ここで注意したいのはトゥースィー自身が地動説や太陽中心説を唱えたわけではないということです。
彼自身も地球を中心に置く宇宙論の枠組みの中で研究していました。
動画で海外ファンが注目していたのは、トゥースィーの研究と、後世の天文学との関係でした。
動画の哲学幻談では、そこから「受け継いだ知識を絶対視せず、問い直すこと」というテーマへ話を広げています。
3-7. 『ナースィル倫理学』が考えた幸福と社会
トゥースィーの思想は、一人の人間が自分自身を律するだけでは終わりません。
『ナースィル倫理学』では、個人の倫理だけでなく、家庭や社会についても考察されています。
人間は、自分が必要とするものをすべて一人で作ることはできません。
だからこそ人々は、それぞれの能力を持ち寄り、協力して生きていく必要があります。
つまり、人間の幸福を考えることは、個人の心だけを整えれば終わりではありません。
他者との関係、家庭、そして社会のあり方まで考える必要があるのです。
学問は、自分一人を賢くするためだけのものではない。
人々が知識を持ち寄り、協力し、よりよい社会をつくるための力にもなる。
3-8. 1274年、バグダードで死去
トゥースィーは1274年、バグダードで亡くなりました。
73年ほどの生涯の中で、哲学、倫理学、神学、数学、天文学、論理学、医学など、驚くほど多くの分野に足跡を残しました。
モンゴル軍がイスラーム世界へ進出する激動の時代を生き、政治的にも複雑な環境に置かれながら、それでも研究と著述を続けた人物です。
宇宙がどのように動くのか。
人間の心はどのように働くのか。
人間はどのように生きれば幸福になれるのか。
そして人間同士は、どのように協力して社会をつくればよいのか。
トゥースィーの研究は、宇宙から人間社会まで非常に広い範囲に及んでいました。
4. シタラとトゥースィー「動かないのは、大地か。心か。」
こうしてトゥースィーの思想と生涯を振り返ると、『天幕のジャードゥーガル』最終話で描かれた「大地は動くのか」という議論が、もう一つの意味を持って見えてきます。
トゥースィー自身は、現代のような太陽中心説を唱えた人物ではありません。
それでも彼は、受け継いだ天文学を絶対のものとして扱うのではなく、問題を検討し、数学によって修正しようとしました。
一方のシタラは、オゴタイとの議論の中で、星や大地の問題だけではなく、自分の過去とモンゴルへの憎しみに向き合うことになります。
世界は動き続ける。
それでも人の心には、動けない場所が残ることがある。
過去を忘れなくてもいい。
傷つけられた事実まで「善かった」と言う必要もありません。
それでも、自分自身がその場所から動くことはできるのか。
動画のトゥースィー先生は、最後に「新しいものが見えた時に考えを変えることは、過去の自分を裏切ることではない」と語ります。
科学もまた、過去の知識を受け取り、それを問い直し、修正しながら次の時代へ渡されてきました。
正しい答えを最初から持っていた人だけが、知識を前へ進めてきたわけではありません。
自分の答えを問い直した人たちもまた、世界の見方を変えてきました。
「動かないのは、大地か。心か。」
この問いについてのトゥースィー先生とピヨ太郎たちの哲学幻談は、ぜひ動画本編でご覧ください。
まとめ
アニメというエンターテインメントの中にも、深く考えさせられる哲学的なテーマが隠されています。
『天幕のジャードゥーガル』最終話で描かれたシタラとオゴタイの対話は、天文学の正しさを争うだけの場面ではありませんでした。
そこには、過去をどう受け止めるのか、怒りとどう付き合うのか、そして自分が信じてきた世界を問い直すことができるのかという問題も重なっていたように思います。
トゥースィーの倫理思想から考えると、怒りそのものを消すことが答えなのではありません。
大切なのは、その怒りを理性が導いているのか、それとも怒りの方に自分自身が導かれているのかということです。
そして天文学者としてのトゥースィーも、受け継いだ宇宙論をそのまま絶対視した人物ではありませんでした。
プトレマイオスの天文学を検討し、問題を修正しようとした彼の姿は、「自分の答えを問い直す」という今回の哲学幻談のテーマにもつながっています。
シタラが選んだのは、魔女になる道でした。
この先、彼女の心がどのように動いていくのか。
原作ではどのように描かれていくのか、私も楽しみにしたいと思います。
動画では、海外の反応とともに、トゥースィー先生とピヨ太郎、もちもちによる哲学幻談をより視覚的に分かりやすく紹介しています。
まだご覧になっていない方は、ぜひチェックしてみてください。

©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会



