アニメ『ワールド イズ ダンシング』第三番(第3話)「君には君のよさがある」
新熊野六月会という大舞台を前に、海外では鬼夜叉への期待や不安、十二五郎の怒りに共感する声など、今回も様々な意見がありました!
さっそくRedditを中心とした海外の反応を見て行きましょう。
後半では海外の反応から哲学的考察をしていきます。
ぜひ最後までお付き合いください!
アニメ『ワールド イズ ダンシング』第三番(第3話)海外の反応と哲学的考察|無から新しい何かを創り出す回だった
海外の反応まとめ【ネタバレあり】
衝撃・驚きの反応
“Kogane suddenly disappearing is definitely worrying. I’m also wondering what’s up with this white-haired dude who suddenly appeared and disappeared. Hmm…”
コガネが急にいなくなったのは、普通に心配だな。
それに、急に現れて急に消えたあの白髪の男は何なんだろう。
うーん……。
“Why did Kogane disappear…I have a bad feeling.”
なんでコガネはいなくなったんだ……。
嫌な予感がする。
“And he knew that they would not meet again too, things going to be down bad for our mc”
しかも、もう二度と会えないってことを彼は分かっていたんだよな。
主人公にとって、これから相当きついことになりそうだ。
“Didn’t expect Goro to just start beating him, but Oniyasha can throw fists pretty well too. I like how Goro’s flashback showed there’s more going on in his anger toward Oniyasha.”
十二五郎がいきなり殴りかかるとは思わなかった。
でも鬼夜叉も結構ちゃんと拳でやり返せるんだな。
十二五郎の回想で、彼の鬼夜叉への怒りにはもっと色々な事情があると分かったのが良かった。
“Sussy guy in the carriage at the the start looks like a high ranking official, maybe he was the one who requested Oniyasha to dance.”
冒頭で牛車に乗っていた怪しい男、かなり身分の高い人物に見えたな。
もしかして、鬼夜叉に舞わせるよう求めたのはあいつだったのかもしれない。
“Oh wait, was that the shogun?”
待って、あれって将軍だったのか?
“Honestly, reasonable crash out.”
正直、あのブチギレ方は分からなくもない。
笑い・ユーモア系
“Oniyasha going back to dance practice using his father’s techniques isn’t working out, so he goes back to pondering. Him somehow being inspired by sex for his dancing is crazy though.”
鬼夜叉が父親の技を使って舞の稽古に戻っても上手くいかず、また考え込む流れになるのは分かる。
でも、なぜか性から舞のヒントを得るのはだいぶ狂ってるだろ。
“What, did you seriously think it’d be the duty of anyone but the Shogun to educate a young lad on such important matters?”
何だ、そんな大事なことを若者に教える役目が、将軍以外にあるとでも本気で思っていたのか?
“Sex is a good thing! Thank you for teaching me that! I need to get home quick! I’m going to practice! Yoshimitsu, what on Earth have you been teaching a young boy? Oniyasha’s lucky nobody else was around to hear that (especially his father) and took his words out of context.”
「性って良いものなんですね!
教えてくれてありがとうございます!
早く家に帰らなきゃ!
稽古してきます!」
足利義満、お前は一体少年に何を教えているんだ。
鬼夜叉は、他の誰にも聞かれていなくて本当に運が良かったな。
特に父親に聞かれて、変な意味に受け取られなくてよかった。
“I wanna see what new insights little bro has gleamed from learning about the bird and the bees lol. Kid has a huge role coming up. I’m sure Goro isn’t the only one feeling some kinda way about the little dude getting such a prominent part. He can’t keep muckin about…”
あの子が鳥と蜂の話を学んで、どんな新しい気づきを得たのか見てみたいわ。
これから大役が控えているんだぞ。
あんな小さい子が目立つ役をもらったことに何か思っているのは、十二五郎だけじゃないだろうな。
もうこれ以上ふらふらしていられないぞ……。
“It’s a farmer’s ritual. It probably started from the other end, then someone posh showed up who considered it improper.”
あれは農民の儀式なんだろう。
たぶん最初はもっと露骨なところから始まって、そこに上品ぶった誰かが現れて「それは不適切だ」と言い出したんだ。
“We are all Goro on this day.”
この日の俺たちは、みんな十二五郎だった。
“Wait, you’re thinking of the wrong person. That pervy older man who watched Oniyasha’s dance in the beginning was not the shogun. The person who told Oniyasha about the sex simulating rice harvest ritual was the shogun.”
待て、君が思い浮かべている相手が違う。
冒頭で鬼夜叉の舞を見ていたあの変態っぽい年配の男は将軍じゃない。
性を模した稲作の儀式について鬼夜叉に教えた人物が将軍だ。
深い考察系
“Previous episode was about finding expression by stripping away everything until there’s nothing left, and this episode was about creating something new from nothing. Seems like Oniyasha is one step closer to figuring out the dance that fits his form.”
前回は、すべてを削ぎ落として何も残らないところまで行くことで表現を見つける話だった。
そして今回は、無から新しい何かを創り出す話だった。
鬼夜叉は、自分の形に合った舞を見つけるところに一歩近づいたように思える。
“What I really love and now seems to become a real theme is the weekly or episodic flower. This week we got the dandelion with the relevant themes of faithfullness and happiness (ignoring its other themes of loves oracle and oracle) Seeing the flower crushed, blooming, etc did for a nice visual nuance. Especially at the end when he was told his footwork is lacking only to reveal he had crushed dandelion during the fight”
自分が本当に好きなのは、毎週、あるいは各話ごとに花が出てきて、それがちゃんとテーマになっているように見えるところだ。
今週はタンポポで、そこには誠実さや幸福といったテーマが重なっていた。
花が踏みつぶされたり、咲いていたりする描写が、良い視覚的ニュアンスになっていた。
特に最後、足さばきが足りないと言われた後で、喧嘩の中で彼がタンポポを踏みつぶしていたことが示されるのが印象的だった。
“Goro’s feelings about Oniyasha’s privileged position and Oniyasha’s apparently wandering glibly through life are understandable. Kanami’s non-parenting and the overall societal structure are large factors in this, but Oniyasha is the personification of that in his mind. This episode didn’t have as much revelatory dancing in it as the previous two, though we did get Oniyasha’s contemplation of sex moves via Yoshimitsu. Oniyasha has gotten a few lessons into his mind now, and with the upcoming performance we should have a chance to see how they play out as an act break.”
鬼夜叉の恵まれた立場や、何も考えずにふらふら生きているように見える姿に対して、十二五郎が抱く感情は理解できる。
観阿弥の親としての関わりの薄さや、社会全体の構造も大きな要因ではある。
でも十二五郎の中では、鬼夜叉がそれらすべてを象徴する存在になっているんだ。
今回は前の2話ほど啓示的な舞はなかったけれど、足利義満を通じて鬼夜叉が性の動きについて考える場面はあった。
鬼夜叉はいくつかの教えを自分の中に取り込み始めている。
そして次の大舞台で、それらがどう演目として表れるのかを見る機会が来るはずだ。
“I feel like a lot of this performing arts anime have to walk a narrow line between actual talent/ability and just dressing things up with animation (looking at you Akane Banashi). This anime seems to be doing a good job so far, though maybe that comes from it being more exploratory approach and how it doesn’t shy away from the hardships people experience. Overall, I’m enjoying Oniyasha’s progression and am really curious how this next performance goes.”
こういう芸能もののアニメは、実際の才能や技量を描くことと、アニメーションでそれっぽく飾り立てることの間で、かなり細い線を歩かなきゃいけないと思う。
今のところ、このアニメはかなり上手くやっているように見える。
それはたぶん、より探求的なアプローチをしていて、人々が経験する苦しさから目を背けていないからなのかもしれない。
全体として、鬼夜叉の成長を楽しんでいるし、次の舞台がどうなるのか本当に気になっている。
“Is there a “right” person to beat up purely over nepotism? Goro’s feelings are understandable, but he would be in the wrong no matter who he directed his violence towards.”
縁故ひいきへの怒りだけを理由にして、殴ってもいい「正しい相手」なんているのか?
十二五郎の気持ちは理解できる。
でも、その暴力を誰に向けたとしても、彼は間違っていることになる。
“Also, if Goro was more observant maybe he’d realize that Oniyasha’s father gives absolutely zero shits about them being family where it concerns to Oniyasha’s artistic ability. The only reason he can be putting him up for it is if he believes he can do it. Because goddamn that’s all he’s good for, ain’t no fathering going on here.”
それに、十二五郎がもっとよく見ていたら、鬼夜叉の芸の力に関しては、父親である観阿弥が家族だからといって一切甘くしていないことに気づいたかもしれない。
鬼夜叉をあの舞台に出す理由があるとすれば、それは観阿弥が「できる」と信じているからだ。
だって、あの人ができるのはそれくらいで、父親らしいことなんて全然していないんだから。
感動・共感系
“Honestly, I can’t even be mad at Goro. If I’ve been working my ass off and my boss’s son suddenly gets to perform on our biggest stage when all I’ve seen him do is slack off, I’d fucking snap too.”
正直、十二五郎を責める気にはなれない。
自分が必死に努力してきたのに、上司の息子が、普段はサボっているようにしか見えないまま、いきなり一番大きな舞台に立つことになったら、俺だってブチギレると思う。
“Felt bad for Goro. His anger felt justified after all that he’s been through and seeing how Oniyasha was taking for granted something he’d give his right arm for. Him getting that part was already somewhat unfair but then to go and blow off a rehearsal and run away without a word, leaving everyone scrambling to find him was just downright disrespectful. Maybe Goro went a bit far with the punch but you can see where he’s coming from.”
十二五郎がかわいそうだった。
彼がこれまで経験してきたことを考えると、自分なら右腕を差し出してでも欲しいような機会を、鬼夜叉が当たり前のように受け取っているのを見て怒るのは当然に感じた。
あの役をもらうこと自体、すでに少し不公平だった。
それなのに稽古をすっぽかして、何も言わずに逃げ出し、みんなに探し回らせたのは、普通に失礼すぎる。
殴ったのはやりすぎだったかもしれない。
でも、どこからその怒りが来ているのかは分かる。
“Honestly, you can understand the perspective of Goro because he came from someone who had nothing. While you have Oniyasha, it can seem it is because of family ties that he is getting the opportunities. But it doesn’t maximize on them.”
正直、十二五郎の視点は理解できる。
彼は何も持たないところから来た人間だからだ。
一方で鬼夜叉は、家族のつながりのおかげで機会を得ているように見える。
しかも、その機会を十分に活かしているようにも見えない。
“With that being said, how Goro handled it was poor. As the older man mentioned, his feelings are understandable, but it’s poor sport to take it out on him. After all, he is indebted to Oniyasha’s family. It does feel like Oniyasha is very close to figuring it out, but he is doing it in his own way.”
とはいえ、十二五郎のやり方は良くなかった。
年上の男が言っていたように、彼の気持ちは理解できる。
でも、それを鬼夜叉にぶつけるのは筋が悪い。
そもそも彼は鬼夜叉の家に恩がある立場でもある。
鬼夜叉は答えにかなり近づいているように見える。
ただし、それは彼なりのやり方で進んでいるんだ。
“Goro took it too far, but I can’t say that he was wrong to be angry at Oniyashi. From his POV, Oniyashi is an entitled brat that causes trouble for everyone else, doesn’t pull his own weight, and takes his status as the leader’s son for granted.”
十二五郎はやりすぎた。
でも、鬼夜叉に怒ること自体が間違っていたとは言えない。
彼の視点から見れば、鬼夜叉は周りに迷惑をかけ、自分の役割を果たさず、座頭の息子という立場を当然のように受け取っている甘えた子供に見えるんだ。
“The classic plight against nepotism. Obviously Goro’s beating up the wrong person, Oniyasha didn’t ask for it. But he’s the easiest one to beat up.”
典型的な縁故主義への怒りだな。
もちろん十二五郎が殴っている相手は間違っている。
鬼夜叉がそれを望んだわけじゃない。
でも、彼にとって一番殴りやすい相手が鬼夜叉だったんだ。
“Bro’s frustation has been boiling up for the last 3 episodes, and probably way before the anime even started. But I’m glad Oniyasha headbutted him and didn’t let him have his way.”
十二五郎の不満は、この3話ずっと煮えたぎっていたんだろう。
たぶんアニメが始まる前からずっとだ。
でも、鬼夜叉が頭突きして、彼の好きにはさせなかったのは良かった。
引用元:
Reddit
海外の反応、いかがでしたか?
今回は新熊野六月会という一世一代の大舞台を前に、鬼夜叉の未熟さと、十二五郎の積もり積もった怒りが正面からぶつかった回でした。
海外では、十二五郎の暴力は間違っているとしながらも、その怒り自体には共感できるという声が多く見られました。
一方で、鬼夜叉が足利義満との出会いや田楽の儀式から、自分だけの舞へ近づいていく過程にも注目が集まっていました。
今回のテーマには、才能、家柄、身体表現、そして人が自分の形を見つけるまでの苦しさが深く関わっています。
少し深掘りしてみましょう。

哲学から見るアニメ『ワールド イズ ダンシング』
「無から生まれる表現」ヘーゲルの弁証法
“Previous episode was about finding expression by stripping away everything until there’s nothing left, and this episode was about creating something new from nothing. Seems like Oniyasha is one step closer to figuring out the dance that fits his form.”
前回は、すべてを削ぎ落として何も残らないところまで行くことで表現を見つける話だった。
そして今回は、無から新しい何かを創り出す話だった。
鬼夜叉は、自分の形に合った舞を見つけるところに一歩近づいたように思える。
このコメントは、ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが語った「有・無・生成」の考え方と重なります。
ヘーゲルの論理学では、何の規定も持たない純粋な「有」は、実は「無」とほとんど区別できないものとして扱われます。
そして、その「有」と「無」の対立と運動の中から、新しい状態である「生成」が生まれていくのです。
前回の鬼夜叉は、余計なものを削ぎ落とし、何も残らないところまで追い込まれていました。
しかし今回、彼はただ父である観阿弥の技をなぞるのではなく、足利義満との出会いや田楽の身体的な動きから、まったく別の発想を得ようとします。
それは、何もない場所から突然答えが湧いてくるというより、空白や失敗や混乱の中で、新しい表現が「成っていく」過程です。
鬼夜叉の舞は、まだ完成していません。
けれど、その未完成さこそが、ヘーゲル的な意味での「生成」のただ中にあると言えるのです。
「怒りは正しくても暴力は正しいのか」カントの定言命法
“Is there a “right” person to beat up purely over nepotism? Goro’s feelings are understandable, but he would be in the wrong no matter who he directed his violence towards.”
縁故ひいきへの怒りだけを理由にして、殴ってもいい「正しい相手」なんているのか?
十二五郎の気持ちは理解できる。
でも、その暴力を誰に向けたとしても、彼は間違っていることになる。
このコメントは、ドイツの哲学者イマヌエル・カントの「定言命法」を思わせます。
カントの倫理学では、行為の正しさは「どんな結果を生むか」や「どんな事情があったか」だけで決まるものではありません。
その行為が、誰に対しても普遍的に認められる原理に基づいているかが問われます。
十二五郎の怒りには、たしかに理由があります。
努力してきた自分ではなく、観阿弥の息子である鬼夜叉が大舞台に立つ。
その構図が不公平に見えるのは自然です。
しかし、怒りの理由が理解できることと、暴力が正当化されることは別です。
カントの視点から見れば、自分の不満を晴らすために他者を殴る行為は、相手を一人の人間としてではなく、怒りをぶつけるための手段として扱うことになります。
だからこそ、このコメントが言うように、誰を殴ったとしても十二五郎は間違っているのです。
感情の正しさと行為の正しさは、必ずしも一致しません。
この回は、その苦い境界線をはっきり描いていました。
「不満を背負わされる鬼夜叉」ルネ・ジラールのスケープゴート
“Goro’s feelings about Oniyasha’s privileged position and Oniyasha’s apparently wandering glibly through life are understandable. Kanami’s non-parenting and the overall societal structure are large factors in this, but Oniyasha is the personification of that in his mind. This episode didn’t have as much revelatory dancing in it as the previous two, though we did get Oniyasha’s contemplation of sex moves via Yoshimitsu. Oniyasha has gotten a few lessons into his mind now, and with the upcoming performance we should have a chance to see how they play out as an act break.”
鬼夜叉の恵まれた立場や、何も考えずにふらふら生きているように見える姿に対して、十二五郎が抱く感情は理解できる。
観阿弥の親としての関わりの薄さや、社会全体の構造も大きな要因ではある。
でも十二五郎の中では、鬼夜叉がそれらすべてを象徴する存在になっているんだ。
今回は前の2話ほど啓示的な舞はなかったけれど、足利義満を通じて鬼夜叉が性の動きについて考える場面はあった。
鬼夜叉はいくつかの教えを自分の中に取り込み始めている。
そして次の大舞台で、それらがどう演目として表れるのかを見る機会が来るはずだ。
このコメントは、フランスの思想家ルネ・ジラールが論じた「スケープゴートのメカニズム」と深く関係しています。
ジラールによれば、共同体の中にたまった不満や不安は、しばしば本当の原因ではない一人の人物に集中します。
その人物は、社会全体の矛盾や不公平を背負わされる象徴的な標的となります。
十二五郎の怒りの根本には、家柄、師弟関係、芸の世界の序列、努力が報われるとは限らない不条理があります。
それらは鬼夜叉一人が作った問題ではありません。
それでも十二五郎の目には、鬼夜叉がそのすべての象徴として映ってしまう。
鬼夜叉は、観阿弥の子であり、大舞台に選ばれた少年であり、しかもその重みを十分に分かっていないように見える存在です。
だからこそ、十二五郎の不満は社会構造そのものではなく、目の前にいる鬼夜叉へと向かってしまいます。
これはまさにジラールの言う、共同体の不満が一人の対象に集まるスケープゴート化の構図です。
鬼夜叉は特権を持つ者であると同時に、大人たちの構造や他人の怒りを背負わされる子供でもあるのです。
まとめと感想
『ワールド イズ ダンシング』第三番(第3話)は、鬼夜叉が大舞台への重圧に押しつぶされそうになる一方で、十二五郎の視点から見た不公平さも強く描かれた回でした。
鬼夜叉は観阿弥の子として機会を与えられる存在ですが、その一方で父から甘やかされているわけではなく、むしろ芸の世界の厳しさの中へ放り込まれている少年でもあります。
十二五郎は努力してきた側の人間だからこそ、鬼夜叉の迷いや逃避が許せなかったのでしょう。
しかし、海外コメントでも多く語られていたように、その怒りに理由があっても、暴力まで正当化されるわけではありません。
今回印象的だったのは、鬼夜叉が父の技をそのまま真似るのではなく、足利義満との会話や田楽の身体表現から、自分だけの舞のヒントを得ようとしていたところです。
サブタイトルの「君には君のよさがある」は、鬼夜叉だけでなく、十二五郎にも向けられている言葉のように感じました。
誰かの形をなぞるのではなく、自分の身体、自分の怒り、自分の未熟さからしか生まれない表現がある。
新熊野六月会という大舞台で、鬼夜叉がどんな舞を見せるのか。
そして十二五郎がその姿をどう受け止めるのか。
次回も非常に楽しみです。
引き続きこのブログでは第四番も海外の反応をお届けしますのでお楽しみに!
ワールド イズ ダンシング 関連グッズ
©三原和人・講談社/『ワールド イズ ダンシング』製作委員会


