アニメ『天幕のジャードゥーガル』第7話「兄弟」の動画補足記事です。
この記事では、動画で取り上げた「嫌いでもない者同士が、なぜ争うことになるのか?」というテーマに触れつつ、動画内では時間の都合で語り尽くせなかった17世紀イングランドの哲学者トマス・ホッブズの生涯と思想について、詳しく掘り下げていきます。
人間は、相手を憎んでいなくても争うことがある。
なぜそんなことが起きるのか。
ホッブズが生涯をかけて考えた「恐怖」「猜疑」「国家と秩序」の世界を紐解いていきましょう。
ぜひこの記事と動画を合わせてご覧ください。
【動画補足】アニメ 天幕のジャードゥーガル 第7話 トマス・ホッブズ「人間は、相手を憎んでいなくても争える」
オゴタイを蹴落とそうとしているわけでもなく、むしろ兄を支えているように見えるトルイ。
それでも、なぜ彼の強大な軍事力は争いの種になり得るのでしょうか?
今回公開した動画では、17世紀イングランドの哲学者トマス・ホッブズの思想を通して、シタラが目をつけた「猜疑心」と、嫌いでもない者同士から争いが生まれていく仕組みを考えました。
1. 海外が感じ取った『天幕のジャードゥーガル』第7話の「不穏さ」
『天幕のジャードゥーガル』第7話「兄弟」では、オゴタイを中心とするモンゴル帝国の人々が描かれました。
兄弟たちは一見すると互いを支えており、トルイもオゴタイを助けています。
ところが、その中にはすでに将来の争いへつながりかねない要素が存在していました。
強大な軍事力を持つトルイ。
その力を危険視する者たち。
そして、その間に「不信の種」を撒こうとするシタラとドレゲネ。
明るい場面も多い第7話でしたが、海外の視聴者たちは、その裏側に漂う不穏さを敏感に感じ取っていました。
海外ファンは第7話をどう見たのでしょうか?

今日はたくさんの笑顔や優しい関係性が描かれていたのに、俺には何もかも不穏に感じる。

兄弟たち自身にオゴタイを倒す意図がまったくなかったとしても成功し得る、ものすごく狡猾な計画だ。

たとえトルイに裏心がなく、純粋に帝国にとって最善のことを望んでいるだけだとしても、すでに他人の領域を踏みつけ始めている。
周囲が彼の力を恐れ、その意図を疑い始めるのは時間の問題だ。

前回でプロローグが終わって、ここから本当に物語が動き始めたように感じる。
すでにモンゴル帝国が最終的に分裂していくことを示すヒントがいくつも出てきている。
第7話で海外ファンが注目したのは、まだ起きていない争いの「種」でした。
2. ホッブズ先生の哲学講座:嫌いでもない者同士が、なぜ争うのか?
動画の中では、ピヨ太郎ともちもちの元に、特別講師としてトマス・ホッブズ先生が登場します。
今回ホッブズ先生が考えるのは、まさに第7話で描かれた「争いが生まれる前の状態」です。
※哲学者のセリフは、史実や著書の内容を参考にしつつ、アニメの考察に合わせて独自に構成したフィクションが含まれます。
学術的な正確性を保証するものではありませんので、一つの考え方としてお楽しみください。

人間は、相手を憎んでいなくても争える。
むしろそこが怖いところなんだ。

え?
嫌いじゃないのにケンカできるの?

できるんだよ。
今回のオゴタイとトルイを考えてみよう。
シタラが不和そのものを一から作ったわけではない。
トルイがあまりにも強いという材料は、すでにそこにある。
シタラは何もないところから争いを作る必要はないんだ。
すでに張りつめた水面へ、一滴落とせばいい。
ホッブズが考えた「争いの三つの原因」
ホッブズは代表作『リヴァイアサン』の中で、人間同士の争いが生まれる主な原因として、競争・猜疑・栄誉という三つを挙げています。
競争
欲しいものを手に入れるために争う。
猜疑
自分自身や自分の持つものを守るために争う。
栄誉
自分を軽く扱わせないために争う。
重要なのは、ここに「相手が嫌いだから」という条件が必要ないことです。
同じものを欲しがる。
相手が自分を攻撃するかもしれないと考える。
侮辱されたと感じる。
それだけでも争いは始まり得ます。
動画では、この仕組みをピヨ太郎ともちもち、そして残り一個のお菓子を使ってホッブズ先生が説明しています。
二人は仲良しです。
相手を憎んでもいません。
それでも「相手に先に取られるかもしれない」と思った瞬間、お互いに動こうとします。

そこに「嫌い」とか関係ないんだね。

そうなんだ。
誰も悪人である必要がないんだ。
猜疑が生み出す「先に動かなければ」という恐怖
ホッブズの議論で特に今回の『天幕のジャードゥーガル』と重なるのが、猜疑です。
人間には、相手の頭の中を見ることができません。
今は味方でも、将来も味方でいてくれる保証はありません。
すると「相手が自分に何かする前に、自分が先に動いたほうが安全なのではないか」という考えが生まれます。
動画のホッブズ先生は、これを相手に先んじて行動する「アンティシペーション」として説明しています。
相手には強大な力がある。
↓
その力が自分へ向けられるかもしれない。
↓
相手の意図は見えない。
↓
念のため警戒する。
↓
警戒された相手も「なぜ自分を警戒するのか?」と疑い始める。
↓
まだ誰も裏切っていないのに、双方の猜疑だけが大きくなっていく。
これこそ、第7話でシタラが利用しようとしている構造です。
トルイ本人がオゴタイを裏切ろうとしているとは、動画の段階では言えません。
むしろ兄弟たちは互いを支えているように描かれています。
しかしトルイには強大な軍事力があります。
「本人に野心がなくても、周囲が彼を担ぎ上げたら?」
「今は従っていても、将来も同じだろうか?」
そんな疑問を誰かが抱き始めれば、力そのものが恐怖の対象になり得ます。

誰も嘘をついていない。
誰も裏切っていない。
それでも疑いだけは育つんだ。
シタラはそこを見つけたんだ。
シタラは「トルイは必ず裏切る」と証明する必要すらありません。
「あれほど強いトルイが、これからもずっと従うだろうか?」
そう考えさせるだけでも、猜疑の一滴を落とすことができます。
では、この一滴がどのように帝国を変えていくのでしょうか。
そしてシタラとドレゲネ、ボラクチンとモゲは、これからどのように対峙していくのでしょうか。
ホッブズ先生による第7話の詳しい考察は、ぜひ動画本編でお楽しみください!
3. 哲学者トマス・ホッブズの生涯
ここからは、動画の解説役として登場したトマス・ホッブズが、どのような人生を歩んだ人物だったのかを詳しくご紹介します。
ホッブズは政治哲学で特に有名ですが、その関心は政治だけに限られていませんでした。
人間の心、言語、物質、科学、数学、宗教、歴史など、非常に幅広い領域について考えた哲学者です。
3-1. 1588年「恐怖」とともに生まれた哲学者
トマス・ホッブズは1588年4月5日、イングランドのウィルトシャー地方に生まれました。
スタンフォード哲学百科事典によれば、故郷はマームズベリーです。
父親もトマス・ホッブズという名の聖職者でした。
1588年といえば、スペインの無敵艦隊がイングランドへ迫った年です。
ホッブズの誕生と「恐怖」を結びつける有名な逸話が残されているほど、彼の人生を語るうえで恐怖は象徴的な言葉となりました。
ホッブズの哲学を理解するうえで重要なキーワードの一つが「恐怖」です。
他人が何をするか分からない恐怖。
生命を失う恐怖。
社会の秩序が崩れる恐怖。
そして、その恐怖から人間はどのように平和を作ることができるのか。
この問題は後のホッブズ政治哲学へつながっていきます。
3-2. オックスフォードで学び、キャヴェンディッシュ家へ
ホッブズは1602年または1603年頃に故郷を離れ、オックスフォードのマグダレン・ホールで学びました。
1608年に卒業すると、名門キャヴェンディッシュ家に仕えるようになります。
最初は後に第2代デヴォンシャー伯となるウィリアム・キャヴェンディッシュの家庭教師を務めました。
このキャヴェンディッシュ家との関係は一時的なものではありませんでした。
ホッブズはその後の人生の大部分を、この一族と深く関わりながら過ごしています。
この環境によって豊富な書物に触れる機会を得ただけでなく、当時の哲学者や科学者たちと交流する機会にも恵まれました。
また、1620年頃にはフランシス・ベーコンの秘書として働いた時期もあったとされています。
さらにヨーロッパを旅し、1630年代にはパリでマラン・メルセンヌとも交流しました。
3-3. 科学革命の時代を生きたホッブズ
ホッブズが生きた17世紀は、ヨーロッパの科学観が大きく変化していた時代でした。
彼自身も政治だけを研究していたわけではありません。
物理学、数学、人間の知覚、言語など幅広い問題を扱っています。
ホッブズは、人間を含む世界を物質的なものとして捉える唯物論的な立場を展開しました。
人間の感覚や思考についても、身体から切り離された何かを想定するのではなく、物質や運動を基礎として説明しようとしました。
また、ホッブズは「推論」を計算になぞらえて説明しています。
推論することを、ある意味で足したり引いたりする計算として捉えようとしたのです。
現代では政治哲学者として語られることの多いホッブズですが、実際には人間と世界そのものを一つの体系として理解しようとした、非常に広い関心を持つ思想家でした。
3-4. イングランドの政治危機とパリへの亡命
ホッブズの政治思想を考えるうえで避けて通れないのが、17世紀イングランドの政治的混乱です。
国王と議会の対立が激しくなる中、ホッブズは1640年末にイングランドを離れ、フランスへ渡りました。
その後およそ10年間、パリで亡命生活を送ります。
1642年にはイングランド内戦が始まります。
同じ国に暮らしていた人々が王党派と議会派に分かれ、武力で争うことになりました。
ホッブズにとって「なぜ人間は争うのか」という問いは、書斎の中だけで生まれた抽象的な問題ではありませんでした。
政治秩序が崩れ、同じ国の人間同士が戦う時代を実際に生きた哲学者だったのです。
亡命中のホッブズはメルセンヌの知的サークルとも交流し、ピエール・ガッサンディらとも関係を持ちました。
また、ルネ・デカルトとも思想上のやり取りをしています。
1641年に出版されたデカルトの『省察』には、ホッブズによる反論も収録されました。
3-5. 1651年『リヴァイアサン』を出版
そして1651年、ホッブズは代表作『リヴァイアサン』を出版します。
今日、ホッブズの名前と最も強く結びついている著作です。
ただしホッブズの政治哲学は『リヴァイアサン』から突然始まったわけではありません。
1640年には『法の原理』を回覧し、1642年には政治哲学書『市民論(De Cive)』を出版しています。
『市民論』は「自由」「統治」「宗教」を中心として政治を論じた著作でした。
その思想をさらに大規模な形で展開したのが『リヴァイアサン』です。
この著作でホッブズは、まず人間の感覚、想像、言語、理性、情念などを考察し、そこから人間同士の関係、国家、主権、宗教へと議論を進めていきます。
「自然状態」とは何か?
ホッブズの政治哲学で有名なのが「自然状態」です。
人々を共通に抑える権力が存在せず、それぞれが自分自身の力で安全を確保しなければならない状態を考えます。
ここで重要なのは、ホッブズを単純に「人間は生まれつき邪悪だと考えた哲学者」と理解しないことです。
動画でもこの点を強調しています。
相手が悪人だから警戒するとは限りません。
相手が何をするのか分からない。
自分の安全を保証してくれる共通の力もない。
その状況では、自分を守るために相手を警戒すること自体に理由が生まれます。
そして相手も同じようにこちらを警戒します。
つまり、善人同士であっても「相手が何をするか分からない」という条件が重なれば、互いに武装したり、先に相手を抑えたりする方向へ進む可能性があります。
だからこそ、今回のオゴタイとトルイをめぐる「猜疑」というテーマと強く重なるのです。
「戦争」とは戦っている瞬間だけではない
ホッブズにとって戦争状態とは、人々が常に剣を振り回している状態だけを意味するものではありません。
いつ戦いが始まってもおかしくない状態が続いていること自体が問題でした。
誰もが自分の判断だけで身を守らなければならない。
相手の意図は分からない。
相手もこちらを恐れている。
そうした環境では、争いが実際に始まる前から平和は非常に不安定なものになります。
第7話でも、まだオゴタイとトルイの間に争いが起きているわけではありません。
だからといって、モンゴル帝国をそのままホッブズの自然状態と同一視することもできません。
大カアンという権威が存在しているからです。
しかし王族たちがそれぞれ大きな軍事力を持つ状況では、「もしその力がこちらへ向いたら?」という不安が入り込む余地があります。
シタラはまさに、その小さな隙間を利用しようとしています。
なぜ強い主権者が必要なのか?
では、猜疑から生まれる争いをどうすれば止められるのでしょうか。
ホッブズが重視したのが、人々を共通に抑える主権的な権力です。
誰もが自分自身の判断だけで安全を確保しようとすれば、相手より先に力を持とうとする動きが合理的になってしまいます。
そこで人々は平和を求め、互いに合意し、共通の権力を成立させる必要があるとホッブズは考えました。
つまりホッブズが考えた国家は、単に人々を支配するためだけの存在ではありません。
「相手に殺されるかもしれないから、自分が先に攻撃しなければ」という状況から人間を解放し、安心して暮らせる秩序を作るための存在でもあります。
恐怖から出発したホッブズが探していたものは、人間が安心して生きられる「秩序」だったのです。
3-6. 『リヴァイアサン』以後も続いた幅広い研究
ホッブズは1651年にイングランドへ戻りました。
その後も研究と執筆を続け、1655年には『物体論(De Corpore)』、1658年には『人間論(De Homine)』を出版しています。
彼は哲学だけでなく、数学や物理学をめぐって同時代の知識人たちとも論争を繰り広げました。
数学者ジョン・ウォリスらとは円積問題をめぐって論争し、ロバート・ボイルらとは実験科学をめぐる議論を行っています。
ホッブズは歴史にも強い関心を持っていました。
若い頃の1629年には古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスの『戦史』を英訳しています。
さらに晩年には、自らが生きたイングランドの内戦を扱った『ビヒモス』も執筆しました。
1670年代には『オデュッセイア』と『イリアス』の翻訳も出版しています。
政治哲学者というイメージだけでは収まらないほど、多方面に活動した人物だったことが分かります。
3-7. 91歳で迎えた最期
トマス・ホッブズは1679年12月4日、ハードウィック・ホールで亡くなりました。
91歳でした。
若い頃から仕えていたキャヴェンディッシュ家との関係は、実に70年ほどにも及びました。
1588年に生まれ、宗教対立や政治危機、内戦、王政復古、そして科学革命という激動の17世紀を生き抜いたホッブズ。
彼が問い続けたのは、「人間はなぜ争うのか」という問題だけではありませんでした。
なぜ国家が必要なのか。
なぜ人間は権力に従うのか。
平和とは何によって守られるのか。
恐怖を抱える人間たちは、どうすれば互いを信じて生きられるのか。
ホッブズの政治哲学は、こうした問いに対する一つの巨大な回答だったのです。
4. シタラとホッブズ「争いは憎しみからだけ生まれるのではない」
こうしてホッブズの思想を振り返ると、『天幕のジャードゥーガル』第7話でシタラが見つけた「争いの種」が、より恐ろしく見えてきます。
オゴタイとトルイが互いを憎んでいる必要はありません。
トルイが本当に皇帝の座を狙っている必要すらありません。
必要なのは、周囲の人間が「もしかしたら」と考え始めることです。
強大な力を見る。
その力を恐れる。
相手の意図が見えない。
だから疑う。
疑われた側も、相手の行動を疑い始める。
ホッブズが描いた猜疑の構造と、第7話でシタラが目をつけた帝国内部の弱点には、重なる部分があります。
そして第7話では、それとは反対の方向へ進もうとする人々も描かれています。
ボラクチンとモゲです。
シタラとドレゲネが帝国内部に不信を広げようとする一方、ボラクチンとモゲは争いの芽を抑えようとしています。
シタラとドレゲネ
帝国内部の不信を利用し、分裂へ向かわせようとする。
ボラクチンとモゲ
争いにつながる芽を抑え、帝国をまとめようとする。
似たような二人組でありながら、その向かう方向は正反対です。
この対比も、第7話の大きな見どころでした。
5. 「猜疑」は私たちの日常にもある
ホッブズの話は、国家や戦争だけの話ではありません。
動画の最後でホッブズ先生が語っているように、「相手の意図が見えない」という問題は日常生活にもあります。
返事が来ない。
なんとなく機嫌が悪そうに見える。
自分だけ誘われていない。
急に仕事を任された。
相手が何を考えているのか分からない。
本当の理由はまだ分からないのに、人間は見えない部分を自分で埋めようとします。
「嫌われたのかな?」
「怒っているのかな?」
「何か企んでいるのかな?」
そして疑ったことでこちらの態度が変われば、それを見た相手の態度まで変わることがあります。
最初は何もなかったはずなのに、お互いの猜疑によって本当に関係が悪くなってしまう。
規模こそ違いますが、そこにはホッブズが考えた問題と似た構造があります。

ときどき、こちらの意図をきちんと相手に伝えること。
そして行動でも見せたほうがいい。
見えないものを少し見えるようにするだけで、勝手に育つ疑いを止められることがある。
国家という巨大な問題から、日常の小さな人間関係まで。
「相手の意図が見えない」という問題は、400年近く経った現代にも残っています。
まとめ
アニメというエンターテインメントの中にも、深く考えさせられる哲学的なテーマが隠されています。
『天幕のジャードゥーガル』第7話で描かれたのは、すでに起きている争いだけではありませんでした。
むしろ印象的だったのは、まだ仲間である者たちの間に生まれようとしている「猜疑」です。
ホッブズの思想を調べていると、「人間は相手を憎んでいなくても争える」という部分が本当に怖いなと思います。
悪人が一人いて全部を壊すという単純な話ではないんですよね。
自分を守ろうとして警戒する。
その警戒を見た相手も警戒する。
お互いに自分を守ろうとした結果、本当に争いへ近づいてしまう。
今回のシタラは、そこへ不信の一滴を落とそうとしています。
何もないところから争いを作るのではなく、すでに存在する力への恐怖を利用する。
だからこそ恐ろしい策略なのだと思います。
そして今回、ホッブズの生涯を改めて調べてみると、彼がなぜこれほど「秩序」を重視したのかも少し分かった気がします。
同じ国の人間同士が戦う内戦の時代を生き、祖国を離れて亡命までした人物です。
そんなホッブズにとって「平和は当たり前に存在するもの」ではなかったのでしょう。
私は『リヴァイアサン』を読んだ時、日本という国にどれだけ守られて生活していたのか、日本に生まれたことがどれほどラッキーだったのかを改めて感じました。
もちろん国家や社会に不満が一つもないという意味ではありません。
それでも、自分で武器を持って毎日自分の命や財産を守らなくても生活できる。
その「当たり前」が、実はものすごく大きな仕組みによって支えられていることを考えるきっかけになった本です。
まだ、この世界に社会学という概念がなかった時代に、幾何学からヒントを経て、国家や人間を自然の摂理や自然の摂理に当てはめて思考した人。
ほんとうに凄い人だなぁとリヴァイアサンを読んで思ったのです。
リヴァイアサンを読んで以来、ホッブズは、私が一番好きな哲学者です。
ちょっと怖いことばかり考えているおヒゲのおじちゃんですが(笑)
400年近く前の問いが、モンゴル帝国を描くアニメにも、現代の日常にもつながってくるのが哲学の面白いところですね。
動画では、ホッブズ先生とピヨ太郎、もちもちの掛け合いを交えながら、「競争・猜疑・栄誉」やシタラの策略について、より視覚的に分かりやすく解説しています。
まだご覧になっていない方は、ぜひチェックしてみてください。

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©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会
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