アニメ『天幕のジャードゥーガル』第10幕「知恵」の動画補足記事です。
この記事では、動画で取り上げたボラクチンの恐るべき計略、トルイの最期、そしてシタラが味わった「空っぽの勝利」に触れつつ、動画内では時間の都合で語り尽くせなかったフランスのモラリスト、フランソワ・ド・ラ・ロシュフコーの生涯と『箴言集』の思想について詳しく掘り下げていきます。
「われわれの美徳は、たいていの場合、偽装された悪徳にすぎない」。
人間の善意や美徳の裏側を見つめ続けたラ・ロシュフコーの世界を紐解いていきましょう。
ぜひこの記事と動画を合わせてご覧ください。
【動画補足】天幕のジャードゥーガル 第10話 ラ・ロシュフコー「その美徳は本物か?」
兄のために命を差し出したトルイは「善い人」だったのでしょうか?
帝国を守るために恐るべき計略を巡らせたボラクチンは「悪い人」だったのでしょうか?
今回公開した動画では、17世紀フランスのモラリスト、フランソワ・ド・ラ・ロシュフコーの『箴言集』を通して、第10幕「知恵」で描かれた人間の美徳と悪徳、その裏側に潜む自己愛について考えました。
1. 海外も戦慄した!『天幕のジャードゥーガル』第10幕とボラクチンの「知恵」
『天幕のジャードゥーガル』第10幕「知恵」では、オゴタイの病とトルイの死をきっかけに、物語が一気に動きました。
トルイは兄オゴタイのために自ら身代わりになることを申し出て、その後、妻ソルコクタニのもとで息を引き取ります。
一方、シタラは長い間求め続けていた『原論』を取り戻します。
しかし、その結果は彼女が望んでいた「勝利」とはあまりにも違うものでした。
背後にいたのは、シタラやファーティマたちの想像を上回る「知恵」を持っていたボラクチンでした。
海外ファンは第10幕をどう見たのでしょうか?

彼女はボラクチンの計略の中で弄ばれていただけだった。
これは本当に悔しい。
結局のところ何も成し遂げられておらず、モンゴル帝国は以前よりさらに強くなっている。

ボラクチンが恐ろしすぎる。
ファーティマに助けられた直後にこれだけの計略を組み立てて、それを完璧に実行したんだぞ。
彼女の毒を治したのは間違いだった。

自分には他人以上の知恵があると思っていたのに、実はボラクチンのレベルにすら達していなかったと悟るなんて、ものすごく悔しくて屈辱的だったはずだ。
しかもファーティマとドレゲネの計画が進むどころか、全部ボラクチンの思惑通りに進んでしまったんだから。

ボラクチンの勝利はシタラに屈辱を与えただけではなく、彼女の計画そのものを台無しにした。
モンゴル帝国内部の大きな不安定要因の一つが処理され、権力はオゴタイのもとへ集中し、帝国はさらに拡大しながら強固になっていく。
地政学的な視点で見れば、ボラクチンの夢はそのままシタラの悪夢なんだ。
第10幕では「誰が本当に勝ったのか?」という点に、海外ファンからも多くの考察が寄せられていました。
2. ラ・ロシュフコー先生の哲学講座:「その美徳は本物か?」
動画の後半では、ピヨ太郎ともちもちの元に、特別講師としてフランソワ・ド・ラ・ロシュフコー先生が登場します。
※哲学者のセリフは、史実や著書の内容を参考にしつつ、アニメの考察に合わせて独自に構成したフィクションが含まれます。
学術的な正確性を保証するものではありませんので、一つの考え方としてお楽しみください。

はじめまして。
私はフランソワ・ド・ラ・ロシュフコー。
17世紀フランスの貴族で、『箴言集』という本を書いたんだ。
人間をひたすら観察して、短い言葉に削り込んだ本だよ。

われわれの美徳は、たいていの場合、偽装された悪徳にすぎない。
ラ・ロシュフコーは「善人なんていない」と言ったのか?
この言葉だけを見ると、ラ・ロシュフコーは「人間の善意なんて全部ウソだ」と主張した、と受け取ってしまうかもしれません。
しかし、そこまで単純な話ではありません。
『箴言集』の有名な言葉の原文は、「Nos vertus ne sont le plus souvent que des vices déguisés.」です。
ここには「le plus souvent」、つまり「多くの場合」「たいてい」という限定があります。
ラ・ロシュフコーが見つめたのは、単純な「善か悪か」ではありません。
私たちは自分の行動に「友情」「勇気」「愛」「忠誠」「善意」といった美しい名前をつけます。
しかし、その奥には自己愛、利害、虚栄心、名誉欲など、別の動機が混ざっていることがある。
だからこそ、自分自身の美しい動機さえ、一度疑ってみる必要がある。
そこにラ・ロシュフコーの鋭い人間観察があります。
トルイ:愛情深い夫と残虐な征服者は両立する
第10幕で特に印象的なのが、トルイという人物の二面性です。
兄オゴタイを救うために自ら身代わりとなり、死の間際まで妻ソルコクタニを想う姿だけを見れば、家族への愛情にあふれた人物に見えます。
しかし同じトルイは、モンゴル帝国の征服戦争を担った人物でもあります。
『原論』も、トゥースへの侵攻の過程でトルイの手に渡りました。
ここで注意したいのは、「トルイが妻のために『原論』を手に入れることを目的としてトゥースを攻めた」ということではありません。
動画内の海外コメントでも触れられている通り、トゥースはモンゴル軍の遠征の途中にあった都市です。
征服戦争の過程で、妻が求めていた本も持ち帰った、と捉えるのが適切です。
ここが非常に興味深いところです。
「妻を愛する優しい夫」と「都市を征服する冷酷な将軍」は、どちらか一方が偽物なのではありません。
同じ一人の人間の中に、その両方が存在しているのです。
人間を「善人」「悪人」という二つの箱だけに分けようとすると、この矛盾は理解しにくくなります。
ラ・ロシュフコーの人間観は、そんな単純な分類そのものに疑問を投げかけてきます。
では、ボラクチンやシタラの行動をラ・ロシュフコーならどう見るのでしょうか?
動画では、彼の『箴言集』を手がかりに第10幕の登場人物たちをさらに掘り下げています。
ここから先の「美徳と悪徳」の考察は、ぜひ動画本編でお楽しみください!
3. フランソワ・ド・ラ・ロシュフコーの生涯
ここからは、動画の哲学幻談に登場したフランソワ・ド・ラ・ロシュフコーが、実際にはどのような人生を歩んだ人物だったのかを詳しく見ていきます。
人間の裏側を見抜くような『箴言集』の言葉は、静かな書斎だけで生まれたものではありません。
彼自身が17世紀フランスの宮廷政治と権力闘争の中を生きた人物でした。
3-1. 名門貴族の家に生まれる
フランソワ・ド・ラ・ロシュフコーは、1613年、フランスのパリに生まれました。
本名はフランソワ6世・ド・ラ・ロシュフコー。
フランスでも有力な貴族の家系に生まれた人物です。
若い頃から軍務や宮廷政治に関わり、単に人間社会を外側から観察していた思想家ではありませんでした。
彼自身が、名誉、野心、忠誠、恋愛、利害、裏切りが入り乱れる貴族社会の当事者だったのです。
3-2. 宮廷政治と権力闘争の世界へ
17世紀前半のフランスでは、王権をめぐって複雑な政治的対立が続いていました。
ラ・ロシュフコーもまた、その権力闘争から無縁ではありませんでした。
彼は宮廷内の政治的な駆け引きに関わり、のちにはフロンドの乱にも参加します。
フロンドの乱は、17世紀半ばのフランスで起こった王権に対する一連の反乱です。
ラ・ロシュフコーは、とりわけ貴族たちが中心となった争いに深く関わりました。
つまり彼は、権力争いについて後世から冷静に評論した人物ではありません。
自分自身がその渦中に飛び込み、政治的な成功も失敗も経験した人物なのです。
3-3. フロンドの乱と挫折
フロンドの乱の中で、ラ・ロシュフコーは政治活動だけではなく軍事行動にも関わりました。
しかし最終的にフロンド側は敗北し、ラ・ロシュフコー自身も大きな挫折を経験することになります。
権力を求めて結びついた人々が、状況が変われば離反する。
忠誠に見えたものの裏側に利害がある。
友情、愛情、勇気、名誉といった美しい言葉の陰にも、人間の自己愛が潜んでいる。
のちの『箴言集』で展開される冷徹な人間観を考えるうえで、彼がこうした宮廷と政治の世界を実際に生きたという事実は重要です。
3-4. 政治の世界から文学の世界へ
フロンドの乱の後、ラ・ロシュフコーは次第に政治の第一線から離れていきました。
そしてパリの社交界やサロンに身を置きながら、人間という存在を観察し、その洞察を文章へと磨き上げていきます。
彼は回想録も残しましたが、後世に最も大きな影響を与えた作品が『箴言集』です。
3-5. 『箴言集』という異色の哲学書
ラ・ロシュフコーの『箴言集』は、巨大な哲学体系を順番に説明していくような本ではありません。
人間の性格、愛、友情、虚栄心、利害、自己愛、美徳と悪徳などについての洞察を、短い文章へ凝縮した作品です。
「われわれの美徳は、たいていの場合、偽装された悪徳にすぎない。」
ラ・ロシュフコーの思想を象徴する有名な言葉です。
人間が美徳と呼んでいる行為の中にも、自己愛や利害、虚栄心などが隠れている場合があることを鋭く指摘しています。
『箴言集』が面白いのは、他人だけを批判するための本として読むこともできますが、その刃がそのまま自分自身にも向かってくるところです。
「私は善意でやった」。
「私はあの人のためにやった」。
「これは正しいことだからやった」。
そう思ったとき、ラ・ロシュフコーなら「本当にそれだけだろうか?」と問いかけてくるのではないでしょうか。
3-6. ラ・ロシュフコーが見抜いた「自己愛」
ラ・ロシュフコーの人間観を理解するうえで重要なのが、自己愛です。
人は自分自身を愛し、自分にとって都合のよい形で自分の行動を理解しようとします。
そのため、本当は自分の利益や名誉、虚栄心が関係している行動であっても、それを「親切」「勇気」「友情」といった美しい言葉で説明してしまうことがあります。
重要なのは、「善い行為はすべて偽物だ」と決めつけることではありません。
むしろ、自分が善いと思っている行為の中にも複数の動機が混ざり合っているかもしれない、と考えることです。
「誰かのため」と思って行動しているとき。
そこに「自分が良い人だと思われたい」という気持ちは、本当に一切ないでしょうか?
「正義のため」と怒っているとき。
そこに自分自身の恨みや自尊心は、本当に混ざっていないでしょうか?
ラ・ロシュフコーの言葉は、他人を疑うためというより、自分自身の動機を疑うために読むと、さらに鋭く響いてきます。
3-7. 『天幕のジャードゥーガル』第10幕とのつながり
トルイには、兄への愛も妻への愛もありました。
しかし同時に、彼は征服戦争を担う将軍でもありました。
ボラクチンは帝国のために自らの知恵を使います。
しかし、そのために行った計略を単純に「美徳」と呼んでよいのでしょうか?
そしてシタラは、最後にドレゲネを救うため再び危険の中へ向かいます。
それは友情なのか、責任なのか、それとも別の何かなのか。
人間の行動を「善か悪か」の二択に押し込めるのではなく、その奥にある複数の動機を見つめる。
ラ・ロシュフコーの『箴言集』を知ったあとで第10幕を振り返ると、登場人物たちの姿が少し違って見えてきます。
3-8. 晩年と1680年の死
政治の第一線から離れた後のラ・ロシュフコーは、文学者たちとの交流を深めながら晩年を過ごしました。
そして1680年、パリで亡くなりました。
宮廷の権力争いに身を投じ、自らもその中で挫折し、その後、人間の心を見つめる短い言葉を残したラ・ロシュフコー。
彼の『箴言集』が今なお読まれているのは、その言葉が17世紀のフランス宮廷だけではなく、現代を生きる私たち自身にも当てはまってしまうからなのかもしれません。
まとめ
アニメというエンターテインメントの中にも、深く考えさせられる哲学的なテーマが隠されています。
『天幕のジャードゥーガル』第10幕「知恵」では、トルイ、ボラクチン、シタラたちの行動を通して、「善い行いとは何なのか?」という難しい問いまで考えさせられました。
今回ラ・ロシュフコーについて調べていて面白いと思ったのは、この人が安全な場所から人間の悪いところを観察していたわけではないというところです。
本人も宮廷政治に飛び込み、権力争いの中で痛い目を見た人なんですよね(笑)
そんな人生を経験した人が、人間の美徳の裏には自己愛や利害が隠れているかもしれない、と言っている。
そう考えると『箴言集』の言葉が急に生々しく感じられます。
そして今回のシタラは宮廷ドロドロ劇から抜け出すチャンスがあったのに、自らまた飛び込んでいきましたね💧
同じく宮廷政治に自ら飛び込んで痛い目を見た大先輩ラ・ロシュフコーなら、何と言うのでしょうか。
ここのところほとんど出番のないソルコクタニ。
この渦に巻き込まれず、距離を置くソルコクタニが一番賢いのかもしれません。
さて、ラ・ロシュフコーの『箴言集』。
とても面白い本ですので是非みなさんも一度手に取って読んでみてくださいね!
動画では、ラ・ロシュフコー先生とピヨ太郎、もちもちの掛け合いを交えながら、第10幕と「美徳」の問題をより分かりやすく掘り下げています。
まだご覧になっていない方は、ぜひ動画本編もチェックしてみてください。

ラ・ロシュフコー関連の書籍
参考文献・参考サイト
Encyclopædia Britannica「François VI, duc de La Rochefoucauld」
https://www.britannica.com/biography/Francois-VI-duke-de-La-Rochefoucauld
ラ・ロシュフコー『ラ・ロシュフコー箴言集』(岩波文庫)
https://link.amazon/B062EpMD8
本記事におけるアニメ作品の考察、および哲学者の発言として表現している部分には、史実や著書を参考にした独自の解釈・フィクションが含まれています。
学術的な正確性を保証するものではありませんので、一つの考え方としてお楽しみください。
©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会
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