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アニメ『グノーシア』最終話、ユーリは“本物”じゃなくてもユーリなのか?――デレク・パーフィットで読む最後の微笑み

グノーシア×パーフィット 存在・自己・同一性

アニメ『グノーシア』最終話、ユーリは“本物”じゃなくてもユーリなのか?――デレク・パーフィットで読む最後の微笑み

アニメ『グノーシア』最終話の、あのユーリの微笑み。
あれを見て「え、助かったの?」「いや、もっと別の意味では?」「そもそも、あのユーリって結局誰なんだ?」となった方、多いのではないでしょうか。

あなたは“どちらもユーリ”だと思いましたか?

私もあの数秒、かなり引っかかりました。
だって、あの笑みってただの「よかったー!」の顔じゃないんですよね。
少し寂しくて、少し達観していて、それでいて妙に静かで、でも確かに“自分の顔”をしていた。
『グノーシア』って、こういう一瞬で視聴者を沼に沈めるのが本当にうまいです。恐ろしい作品です。(褒めています(笑)

哲学者:デレク・パーフィットで考察する

今回の動画では、その微笑みを3人の哲学者の視点で考察しました。
この記事ではその中でもデレク・パーフィットに絞って、
「本物じゃなくても、その人はその人と言えるのか?」
という、ちょっと厄介で、でも『グノーシア』にものすごく似合う問いを掘っていきます。

ここから先はアニメ『グノーシア』最終話までのネタバレを含みます


1. なぜ、あの微笑みはこんなに気になるのか

最終話の終盤、ユーリは“消えるはずの存在”として描かれます。
ところがラストで、ユーリは目を開けて微笑む。
この短いシーンがあるせいで、視聴者は「消えた/消えてない」の二択では処理できなくなるんですよね。

エピソード21の要約資料でも、ラストは「ユーリが消えていない可能性を示唆する」場面として整理されています。
つまり、あの微笑みは“答え”ではなく、意図的に残された“余白”なんです。

そして、その余白に妙にぴったりハマるのがパーフィットです。
哲学ってたまに「いや、そこはハッキリしてくれ」と言いたくなることがありますが、パーフィットはそこで逆に、
「そもそも“同じ人かどうか”をそんなに大事にしなくてもいいのでは?」
と切り込んできます。
急に話が面倒くさくなったようで、実は『グノーシア』向きなんですよね。


2. パーフィットは「本物の自分」にそこまで執着しない

デレク・パーフィット?は1942年に中国・成都で生まれたイギリスの哲学者です。
オックスフォード大学やオール・ソウルズ・カレッジを拠点に、人格の同一性、倫理学、実践理性の研究で大きな影響を与えました。代表作『Reasons and Persons』は、現代哲学の重要な一冊として知られています。

パーフィットの有名な主張をかなりざっくり言うと、
「“同じ人であること”そのものは、実は一番大事なことではない」
です。

彼が重視したのは、時間をまたいで“まったく同一人物”かどうかよりも、
記憶、意図、性格、感情といった心のつながり、つまり心理的連続性心理的結びつきでした。
そして私たちが未来の自分を大切に思う理由も、“絶対に同じ自己”だからというより、そうした連続性にあるのではないかと考えたのです。

これを『グノーシア』に持ち込むと、一気に話が面白くなります。


3. バグユーリと本物のユーリ、どちらが“本物”なのか

動画の中でも語られていた通り、最終話時点のユーリには、
ループを重ねたバグユーリと、元の存在としての本物のユーリという、二重の読みが発生します。
そして動画では、この二つのユーリをめぐって「どちらが本当のユーリなのか」が大きなテーマとして扱われていました。

普通はここで、
「いや、本物は本物のほうでしょ」
と言いたくなります。
わかる。非常によくわかる。
哲学者より戸籍のほうが話が早い瞬間です。

でもパーフィットなら、こう聞き返してきそうです。
“その二人を分けているのは何か。そして、つないでいるのは何か?”

もしループの中で蓄積された記憶や意識の連鎖が確かに存在していたなら、バグユーリもまた、完全な偽物ではない。
それは「本物のコピー」ではなく、ユーリという存在の、別の継続のしかただと読めます。
パーフィットは、こうした場面で「数的に同一かどうか」よりも、心理的連続性のほうが重要だと考えました。

この見方に立つと、ラストの微笑みは
「私は偽物じゃなかった」
という勝利宣言ではなく、
「もう“どっちが本物か”だけで自分を測らなくていい」
という受容の顔に見えてきます。


4. あの微笑みは、「本物認定」を卒業した笑みだったのかもしれない

パーフィット哲学の面白いところは、白か黒かを期待したときに、平然と
「いや、それは連続性の問題です」
と返してくるところです。

でも『グノーシア』のあのラストは、まさにその考え方が似合う。
ユーリの微笑みは、
「本物として勝ち残った笑み」
というより、
「自分を唯一の正解で証明しなくても、自分は自分でいられる」と受け入れた瞬間の顔として読むほうがしっくりきます。

動画の中で紹介されていた海外ファンの反応にも、
「オリジナルでないと分かっていても、“それでも私は私だ”という意味に見えた」
という方向の解釈がありました。
これはまさに、パーフィット的な読みと響き合っています。

つまり、あの笑みは
“存在証明の笑み”ではなく、“存在受容の笑み”
だったのかもしれません。


5. パーフィットを知ると、『グノーシア』のラストは少しやさしくなる

「本物じゃないなら悲しい」
という感覚は、とても自然です。
でもパーフィットは、その悲しみの土台にある考え方を少しずらしてくれます。

あなたをあなたにしているのは、絶対にひとつしかない核ではなく、
記憶や関係や意志のつながりかもしれない。
もしそうなら、分岐したもの、変化したもの、傷ついたものも、ただちに“偽物”にはならない。

この考え方は、SFやループものと相性がいいだけではありません。
現実の私たちにも結構刺さります。
昔の自分と今の自分、全然違うじゃん……と思う日ってありますよね。
でもそれでも私たちは、ある連続の中にいる。
『グノーシア』のユーリは、そのことをたった一度の微笑みで見せてくれたのかもしれません。


6. 哲学者?デレク・パーフィット?の生涯

ここからは、動画でも登場した哲学者、デレク・パーフィット自身がどんな人生を歩んだのかを少しだけ見ていきましょう。
『グノーシア』のユーリを考えるうえで、「この人がどうして“同じ人とは何か”をそこまで真剣に考えたのか」は、意外と大事です。

6-1. 中国・成都で生まれた、ちょっと珍しいイギリス哲学者

デレク・パーフィットは1942年12月11日、中国の成都で生まれました。
イギリスの哲学者なのに中国生まれ、という時点で少し意外ですよね。
彼の両親はともに医師で、1930年代に中国で予防医学を教えていました。
その後、パーフィットが生まれた翌年の1943年に一家はイギリスへ戻っています。 Source

いきなり余談ですが、哲学者って「古代ギリシャの石像みたいな場所」から生えてくるわけではなく、ちゃんと国際移動しているんだなと、こういう経歴を見ると思います。

6-2. もともとは歴史学の学生だった

パーフィットは名門イートン校で学んだ後、1961年にオックスフォード大学へ進学します。
でも最初から哲学を学んでいたわけではなく、専攻は近代史でした。
大学卒業後、コロンビア大学やハーバード大学での留学経験を経る中で、関心がしだいに哲学へ移っていきます。 Source

ここがちょっと面白いところで、パーフィットは最初から「私は自己同一性を一生考えます!」みたいな人ではなかったんです。
むしろ、歴史から哲学へ入ってきたからこそ、「人間とは何か」「同じ人とは何か」という問いを、かなり大きな視野で見ていたのかもしれません。

6-3. オックスフォードで生涯研究を続けた人

1967年、パーフィットはオックスフォード大学のオール・ソウルズ・カレッジで哲学のフェローシップを得ます。
その後は長くオックスフォードを拠点に研究を続け、1974年から2010年まで研究フェローを務めました。
また、ラトガース大学、ニューヨーク大学、ハーバード大学などでも客員教授として教えています。 Source

華やかなメディア哲学者というより、
ひたすら考えて、ひたすら書いて、ひたすら議論した人
という印象が強いです。
そして、そういう人ほど、一冊の本で学界をひっくり返したりするので油断できません。

6-4. 『Reasons and Persons』で「自己とは何か」を揺さぶった

1984年に出版された代表作『Reasons and Persons』は、英語圏の哲学界に大きな衝撃を与えました。
この本でパーフィットは、「私」という存在を支える“絶対にひとつの核”のようなものを疑い、
人格の同一性よりも、記憶や意図や性格の連続性のほうが大事なのではないか
という議論を強く打ち出しました。 Source Source

『グノーシア』のユーリを考えるときにパーフィットがしっくりくるのは、まさにここです。
「本物か偽物か」ではなく、
何が引き継がれ、何がつながっているのか
を問う視点そのものが、作品のラストと相性がいいんですよね。

6-5. 晩年は「倫理学の山」を登り続けた

パーフィットはその後も長い年月をかけて、もう一つの大著『On What Matters』に取り組みました。
この本では、功利主義、カント倫理学、契約論という大きな倫理学の流れは、実は完全に対立しているのではなく、
“同じ山を別の側から登っている”のではないか、という大胆な見方を提示しています。Source

この表現、すごく良いですよね。
哲学者ってときどき喧嘩ばかりしているイメージがありますが、
パーフィットは最後のほうで「もしかしてみんな、違うルートで同じ頂上を目指してたのでは?」と考えた。
かなりロマンがあります。

6-6. 2017年に死去、でも問いはまだ終わっていない

デレク・パーフィットは2017年1月1日、ロンドンで亡くなりました。
20世紀後半から21世紀初頭にかけて、人格の同一性や倫理学の議論に決定的な影響を与えた哲学者として高く評価されています。 Source

そして面白いのは、彼の議論がいま読まれても古びないことです。
むしろAI、コピー、人格の分岐、記憶の改変、アバターといった話題が現実味を帯びてきた今のほうが、「同じ人とは何か」
という問いはさらに切実になっています。

『グノーシア』のユーリの最後の微笑みも、まさにその問いのど真ん中にあります。
だからこそ、パーフィットは今読むとますます面白い哲学者なんです。

6. 動画でも見たい方はこちら

今回の動画では、パーフィットだけでなく、カント、ハイデガーも登場し、それぞれ別角度からユーリの最後の微笑みを読み解いています。
3人並ぶと、哲学の授業というより、だいぶクセの強い深夜ファミレス会議ですが、それがまた良いです。?


まとめ

アニメ『グノーシア』最終話のユーリの微笑みを、デレク・パーフィットの視点から読むと、あれは
「私は本物だ」と証明する笑みではなく、
「本物かどうかだけでは測れない。それでも私は私だ」と受け入れた笑み
に見えてきます。

もちろん、解釈はひとつではありません。
でも、だからこそ面白い。
1000人見たら1000通りの微笑みがある。
その余白こそが、『グノーシア』という作品の強さなんだと思います。


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参考文献・引用元

デレク・パーフィットの著作及び関連文献

グノーシアのグッズ

cPetit Depotto/Project D.Q.O.

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